その人の本来のありように向けてワークします

初めてのディープヒーリングトレーニングに参加した頃のことです。

友人から、メールが来て「腰がぎっくり腰みたくなった」とのことでした。
私はその友人にヒーリングをしに行きたいと感じ、その旨を友人に伝えると
「お願いします」との返事をもらいました。
私は、症状が出ている人にヒーリングセッションをするのは初めてだったので、
カタールにメールをして、指示を仰いでから行こうと思いました。

そのときのカタールらの返信が、ディープヒーリングトレーニングを受け始めた
ばかりの私に、ディープヒーリングについての理解を深めてくれ、今でもとても
印象に残っているのでシェアしたいと思います。

「症状としてでいている痛みを和らげていくことも必要ですが、もっと深いところに
チューニングして相手に接してください。
ディープヒーリングは症状に対してワークするのではなく、その人の本来のありよう
に向けてワークしていきます。
治療ではなく魂へ向けてのヒーリングです。
痛みは必要なのかも知れません。
あるいはもう十分であれば痛みを超えるようにすることになるかもしれません。
ヒーリングはするのではなく、起こるのです。
友人にヒーリングをしに行きたいと感じた時の自分を信頼してください。
そこに指示がすでにあると思います。  カタール」

私は、時々、フラワーエッセンスを飲むように、このメール出して読み返します。
このメールの中に、ディープヒーリングについてのエッセンスが凝縮されている
ように感じます。

ヒーリングの深さは加える力ではない

ディープヒーリングのセッションを友人をモデルに自宅で行いました。
このセッションでヒーリングの深さとプラクティショナーの意識の状態について気づきがありましたのでシェアします。
セッションは次のような状態で行われました。

クライアントの体の状態、エナジーの状態をリーディングしたところ、両肩の真ん中あたりが盛り上がり、硬くなっていた。じっと手を置いていると、ハートの裏側に通じる痛みを感じた。聞いてみると、ハートの後ろにあたる背中が痛いとのこと。
リーディングの後、セッションテーブルにうつぶせで横たわってもらい、
  1) 仙骨からのスティルポイント
  2) 肩~背中のストローク
  3) 肩甲骨内側のストローク(フィスト)
  4) 肩のストローク(フィスト)
次に仰向けで、
  5) 胸骨~鎖骨のストローク
  6) インレットのエナジーワーク
  7) 喉のエナジーワーク
8) A.O
  9) 顔のストローク
10) あごのストローク 
 11) 目のセッション
12) 後頭骨からのスティルポイント
という流れでセッションが起きていきました。

そこで感じたのは、インレットだけでは顔とエネルギーが繋がらないようだったので、喉・首にも手を置いた。また顔にストロークを入れるとき、指を置いて待つと、指が沈み込み、そのままの深さでストロークが始まった。力はほとんど 入れなかったが、深く入っている気がした。さらに眼のリリースの時も指を軽く置くと自然に深く入り、眼窩の奥の指の届かない所には、エネルギーの指先が伸びて触れているような感じだった。ビリビリと振動が伝わってきた。最後に軽く指をまぶたの上に置いていたら、眼球が上下左右に動き、アンワインディングが始まった。


セッションの後のクライアントの感想も「意識があるつもりでいたが、何が起きていたのかほとんど覚えていない。顔のセッションはすごく深い所に入る気がする。目のセッションの途中、物音でふっと意識が浮上したことがあったが、その時はベッドごと空中に浮かび上がったような気がした。全然痛みも圧迫も感じなかったので、指が目の奥まで入ったなんて思わなかった。終わったあと、体がよりグランディングしたような気がする」とのことでした。
以前、エステのような顔のマッサージをした経験があるためいたので、どうしても顔に力を加えることに抵抗がありまたが、今回意識的に力を入れなくても深いセッションができることが実践的に理解できました。
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ディープヒーリングはプラクティショナーにも起きる

告白すると、ディープヒーリングのトレーニングに参加して以来私には憂鬱な不安がある。
それは、私のマインドの問題だと思うのだけど。
机に座ってのカタールの話や説明が終わり、隣の部屋に移動し実技にはいる時、
いつも私は、動揺していた。
カタールのお手本を見ているときは、それを理解し自分もやってみたいと思う。
しかし、自分がやる番になるとき、それは起こる。
だから私は、プラクティショナー役になるのがいつも不安で怖かった。

その人のその部分に触れようと思うとき、恐怖に包まれ頭が真っ白になり、身体が竦み緊張する。
その人が頑なにその部分を守ろうとしているように感じ。
その人の長年張り巡らした結界に触れるように感じ。
鉄の扉を閉め触れられないようにしていると感じ。
私は戸惑い動揺する。
自分が拒絶されているように感じ、動揺する。
自分には上手く対応できないと、そこから逃げ出したくなる。
それは、クライアントのことではなく、自分の状態、問題なのだろうが。

私は、表面では平静を装い、動揺したままおっかなびっくり触れ始める。
私は、上がり症なのか?
私には、できないのか?
私には、無理なのか?
いったい、私は何を恐れているのだろう?
といつも、ひとり落ち込んだ。

反対に、クライアント役の人の、ディープヒーリングを信頼し、ベッドの上に目を閉じ横になり明け渡した姿に、涙がこぼれる時もあった。

この間のDHTで、最後に腕の練習セッションを受けている時、
「あー、私も、こうして感じるままに、伸びやかに、溌剌とストロークを入れていけばいいんだ」と感じた。

この間のDHTのときの会話の中に出てきた「エンパス」のことが気になり、もっと知りたいと思い、
昨日から、「エンパシー」(ローズ・ローズトゥリー著)を読み始めた。
文章があまり頭に入らずよく分からないのだが、何だか自分の中に理解が起こっているような感じだ。
自分には実力がないからみんなのようにできないとか、
自分には知識が足りないからみんなのようにできないとか、
自分には理解が足りないからみんなのようにできないとか、
自分には向いていないのでみんなのようにできないというネガティブな方へ行かずに、
ただただノーマインドでそこに居ればよいのだと思えるようになっている。
ワンネスの会のワークで学んだ、ワンネスの意識、ヒーリングエナジーと繫がる感覚などの原点にもどろうと思った。
実技(何かをすること)への苦手意識から、そちらの方ばかり気にして、そのことにトータルに飛び込む前に自分をジャッジし否定していた。
やっぱり逃げいていたのかもしれない。

このトレーニングの小休止の間に、ノーマインド、ワンネスの意識(ヒーリングハート)についてとシーケンス、手技について、トータルに感じおさらいしようと思う。

そういえば、こういうことは保育園の時も、小学校の時も、中学校の時も、高校の時も、短大の時も、
家庭でも、子育てしているときも、仕事をしているときも、いつもいつも起こっていた。
余分に感じ過ぎてしまったり、理解できなかったり・・・。
いつも自分が拒絶されていると感じていた。
いつも自分が馬鹿だと思っていた。
いつも自分は何かが欠けていると思っていた。
いつも自分は不良品だと思っていた。
いつも自分は醜いと思っていた。
そこから抜け出す術もなく、苦しかった。
自己否定が鎮痛剤だった。

やっと、そこから抜け出せるかもしれない。
この時がくるなんて! 夢見たいだ。

今まで持て余し苦痛に感じていたこと、それが存在からの自分への贈り物だったのかもしれない。
そう考えると、ちょっとワクワクしてくる。ちょっと嬉しくなってくる。
ネガティブな思いへ逃げ込まず、自分への贈り物を受け入れ、上手くそれを使いこなして行きたい。
それには、どうしたらようのだろう?
それは、ノーマインドの中にすべてがあるそうです。

ヒーリングの道は凄いなと思う。
特に、ディープヒーリングの道は凄い。
ヒーリングエナジーに導かれ守られながら、身体的にも、精神的にも、感情的にも、霊的にも、気づきと解放が起こり、成長させてくれる。
私たちは、奇跡的な幸福の中にいるのだと思う。
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